「服が作れるなんてすごいね。」「器用で羨ましい。」なんて言われことも多いのです。でも私にしてみれば、服作りは”その知識を知っているか知らないか”だけで、誰にでも出来ること。そう思っています。だって、昔の人はみんなお母さんが家族の着るものを作っていたじゃないですか。それでも今の私たちには不可能だと思いますか?買う方が早いし、安くなってきたので、段々と洋裁も身近なことではなくなってきたのかもしれませんが、「やってみたい」と思う方は誰だって出来るようになれます。それが私の考える、服作りです。
ごく普通の取り柄のない学生時代
新潟県の片田舎で生まれました。両親は共働きなので家に帰っても祖父母しかいないので、学校から帰ったあとはすぐに外に遊びに行っていました。何してたかって?ザリガニ釣ったり(今は触れません)、バッタを捕まえたり(今は触れません)、セミの抜け殻集めたり(今は触れません)、秘密基地にこもって過ごしたり・・・田舎の遊びです。小学校の5年生のクラブ活動で手芸クラブに入ってぬいぐるみなどを作っていた以外は特に裁縫に夢中になる訳でもなく、ごくごく普通の小学生でした。。。あ、今も昔も運動神経が抜群に悪く体育は大っ嫌いでしたね(笑)
中学校
部活は吹奏楽部でしたが、特になんの問題もなく普通に過ごしました(笑)特におしゃれだった訳ではありませんが、ただこの頃から「人と違う自分になりたい」という気持ちが強かったのは覚えています。みんながAというブランドが好きと言ったら私は「Eというブランドが好き。」と言ってみたり、靴はみんなが黒だったら「青」を履いてみたり、紺のピーコートが流行ったら「赤いダッフルコート」を着たり。そんな小さなことで”自分”を表現していた気がします。
高校
制服に憧れはありましたが、通っていた中学校から進学する人が一番少ない私服高校に入学しました。ここでも、最初は人と違う服装がしたいと思って派手な服を着ていました。携帯電話を持ち始めたのが高校生の頃でしたが、ストラップにリカちゃん人形をつけたりして楽しんでいました。懐かしい(笑)運動神経は悪いのですが、水泳だけは人並みにできたので、水球部に入りました。が、持ち前の体力の無さで、部活は辛くてすぐに辞めました。趣味もなく何かに夢中になることもなくただただ時間が過ぎていた暗黒の高校生時代でした。
短大
保育科のある短大に入学しました。中学、高校の時のように「人と違う自分になりたい」という気持ちはどこへやら、仲の良い友達と出会えてただただ楽しい2年間を過ごしました。短大には服飾科もあったのですが、当時の私は服なんかに全然興味もなかったですね。高校の時からですが、「趣味は、趣味探し」で何か自分が好きなことってないかなー??といつも考えていました。
とまぁ学生の頃は、特にこれと言ったこともなく、「このまま何の取り柄もない自分で行くんだなー。」と過ごしていました。
こうやって、ただの専業主婦が服作りを学んだ
今、私がこうやって服を作っているのは、間違いなく息子の存在があったから。順調に妊娠期を過ごしていましたが、破水をしてしまって少し早めに息子を出産しました。1,988gでした。1ヶ月ほどNICUに入院していましたが、順調に大きくなって明日退院と言う時に、精密検査の結果が出ました。PVL(脳室周囲白質軟化症)という脳性麻痺の一種でした。先生のお話によると、「成長と共に変化があるので将来どうなるという確証はないが、歩けない場合もあるし、杖をついてなら歩けるかもしれないし、バランスは悪いながらも自分で歩けるかもしれない。とにかくまだ詳しいことは分からない」というものでした。そして転機が訪れたのは、息子の幼稚園入園です。
未経験で独学からスタート
幼稚園入園の時に、「幼稚園では自分でお着替えができるようになりましょう。」と伝えられて焦りました。息子は普段、短下肢装具といって、金属でできた長靴のようなものを履いて生活していました。それを履きながらの着替えは不可能でした。理由は、パンツの裾に装具が通らないから。少し大きめのパンツで試したものの全然入らず。「こりゃ、どうしたものか。」と悩みましたが「無いなら作るしかないなー。」と決意しました。最初は、「服を作りたい!」という前向きな気持ちからではなく、およそ義務感から仕方なくはじめた服作りです。
失敗に終わった初めてのズボン
私の学生時代は、さっきも書いたように特に洋裁をしていたわけではありませんでした。ですから裁縫道具と言ったら、小学校の頃に学校で購入した裁縫道具セットのみ。そんな私が最初に頼ったのは「手芸好きの叔母」でした。叔母に「息子のパンツを作りたいんだけど、私には無理かな?」と相談すると叔母は「出来る出来るー!!ミシンがあれば誰にだって出来るんだよー」と笑顔で教えてくれました。早速叔母にパターンを作ってもらって、教えてもらいながら作りました。初めて作ったパンツは、完成はしたものの当初の目的だった「装具を付けたまま着替えが出来るパンツ」にはなりませんでした。装具が思ったよりも太くてスムーズにパンツの裾を通りませんでした。
独学での限界
自分なりにパターンを広げて裾を大きくして、ミシンで縫うと縫い合わせるところ同士を理解していなかったからか寸法が合わず完成せず・・・ということが続きました。失敗しても気にしなくても良いように安い生地をたくさん買ってきて何度もやり直しました。本を見ながら、独学で作る大変さはこの頃に痛感していました。書いてあることが理解できず進歩することもなく、いつも同じものを作り続けるだけ。進歩もなく、なんとなく嫌になってきていました。ただそれでも1着、また1着と完成するパンツを実際に息子が履いて幼稚園に通う姿が当時の私の励みでした。
服飾専門学校入学
息子のパンツを作れるようになってから、毎日ミシンを使って息子の服を作っていました。でも独学だった当時の私が作れるのは、「パッチポケットのついているウエストベルトと身頃が一続きになっているハーフパンツ」だけ。「もっと本格的なパンツが作りたいなー。ポケットとか、違うタイプのものが作れるようになりたいなー。シャツとかも作れるようになりたいなー。でも、本を見ても意味が分からないし、これ以上は無理なのかなー。」と思っていた私は、ある時なんとなく主人に「もっと、ちゃんとした服が作れるようになりたいな」とぼそっと呟いたんです。すると主人は「じゃあ、学校とか行ったら?」と。
毎週日曜日、朝9時から夜21時まで
私が通えるのは、社会人コースでした。今はもう無いかもしれませんが私が通っていたのは朝の9時頃から夜の21時頃までのコース。家を出るのは7時半で、夜は22時近くになりました。今考えるとなかなかハードですね。ただ、私だけがハードなわけではなく主人と息子にも随分無理をさせていました。最初のうちは息子は朝から泣きじゃくってました。我が家は私が専業主婦でしたので、私が不在で二人だけで朝から晩まで過ごすのはそれまでに経験したことがなかったので慣れるまでは大変そうでした。
教えてもらえる楽しさ
日曜日に、朝から晩まで勉強した内容をその週の平日で全部復習をして、パターンなどは自分でもう一度やってみる。分からなかったところは全部まとめておいて、次の授業で先生に聞く。という、びっくりするくらい優等生的な過ごし方でした。自分が一人で悩んで苦しんでいたことが、人に教えてもらえるとこんなにも分かるようになるのか!と感激の連続でした。一時は、「服作りなんて私には無理」と諦めようとしていたのが嘘のように出来るようになっていきました。間違いなく今までの人生の勉強の中で1番楽しく、夢中で新しい知識を得ていたと思います。
手元が見れることの大切さ
独学と学校に通って先生に教えてもらうのとで、何が一番違うのかというと「先生の手元が見れること」。本ではどうしても静止画になります。服作りは、静止画だと分かりにくい。パターン作りも、縫製も先生の手元を見ながら教えてもらえるからこそ分かるということに気づきました。
卒業制作
卒業制作は自分のブランドの企画書を作ってプレゼンをするという内容でした。学校に通い始めた時は「息子の服を作りたい」という気持ちだけで入学したので”ブランド?””プレゼン?”どうしよー(涙)と悩みました。でもせっかくなので、自分がもしブランドを作るなら・・・ということを考えて「息子のように、身体にハンデのある子にも着やすい服のブランド」という内容でプレゼンをしました。「既製服の”当たり前”にとらわれずに、その子一人一人の心と身体に寄り添う服を作りたい」という今の私の考えはここから生まれました。
皆勤賞で卒業
体調を崩すことなく、無遅刻無欠席の皆勤賞。私にとってはとても有意義で、とても楽しかった学校が終わってしまいましたが、ここから自分の足で頑張らないと!という気持ちでした。なぜなら、まだまだたくさん知りたいこと、作りたい物があったからです。
模索する私の”服作り”
知識を知っているか否かが全て
専門学校を卒業したから”服作りは完璧”なはずはなく、逆に「もっと知りたい」という気持ちになりました。学校で習ったことは、広く一般的な基本的なところです。実際にプロの仕事では通用しないこともたくさんあることを知りました。学校や本では当然「こうやる」と教えるものが、プロの世界では「それでは、ここがこうなってしまうので、実はこうした方が良い」というようなことがあるのです。プロの技を惜しげもなく私に教えてくれる先生に出会って、「知っているか、知らないかが全て」と感じました。
【苦悩の時期】服を作ることが義務に
その後は、ただひたすらに息子や主人、私の服を淡々と作る生活をしていました。半ば義務のように。昔から趣味や好きなことがなかった私は「私の存在価値は洋裁しかない」と思っていたので服作りを続けることで自尊心を保っていました。私にはこれしかないのか・・・と悩んでいました。この頃から、自分の作りたいものを作れるようになってきたので周りの人からも「すごいねー」「これも作ったの?」と褒められはじめました。その褒め言葉も素直に喜べず、楽しいという気持ちよりも「私は作り続けないといけない」という義務感の方が強かったです。高額な金額を払って学校に通って身につけた知識と技を使わないなんてことがあってはいけないと自分に言い聞かせていました。
自分の服は作らないの?
そんなときにふと頭によぎったのがオーダー服の先生の何気ない「いづみちゃん、自分の服は作らないの?自分のも作ってみると多分楽しいと思うよー」という一言。確かに今まで息子や主人の服ばかり作ってきたので、ふと「私のも作ってみようかなー。」なんて思いました。生地屋さんにいって服を選ぶように生地を選びました。自分に合うパターンを試行錯誤しながら作っていました。作りながら、鏡を見て「こんな色も似合うんだ」「こんな形だと、私の広い肩幅も目立たないかも。」と研究する日々を過ごしました。久しぶりにワクワクした気持ちで服作りをしていました。「やっぱり私、義務でも良いから一生こうやって家族や自分の着るものを作っていたい!」「自分の存在価値はこれ!やっと見つけた!ずっとこうやっていたい!」と前向きな気持ちになれた瞬間でした。
教室でもやってみる?
気持ちの波はあるものの、私がずーっと服作りをしている姿を見て主人がふと言いました。「洋裁教室でもやってみる?」「洋裁に興味ある人に教えてあげるのはどう?」と。「やってみたい」と思う反面、どうやって?どこで?と課題がたくさん出てきました。何日か主人と相談している中で「じゃあさ、YouTubeで発信とかしてみる?」と言われました。
これが、独学でも学校でもない、YouTube”ただ服をつくる”
独学と学校、その間にあるちょうど良い学びの場
私は、幸せにも専門学校に通うことができました。でも時間的な問題や、場所の問題、お金の問題などいろんな理由で学校には通えない人がたくさんいます。そんな人は独学で勉強するしかないのか?!私は”独学”で学んでから”学校”に通うという2つの学び方を経験しました。その上で感じたこと、それは「本での独学では限界がある」ということです。先にも説明しましたが、洋裁は手元が見れることが大事です。動画でなら独学と学校の良いところを合わせたような、もっと気軽で、でも知りたいことが詳しく分かる。本だけでは理解できないことがきっと理解することが出来ると私の経験で確信していました。
【発表】いつでも”見れる”洋裁教室
服作りを始めた時の未経験の初心者の方にとって役に立てる内容の動画を上げつつ、少しステップアップをしたい方のための少し難しい内容の動画も配信してきました。ただ、少し難しい動画は動画制作時間がかかる割にあまり再生されないという特徴があります。きっと、そういう方はもっと知りたいことがたくさんあると思いますが、再生されにくいという理由で、私のチャンネルではなかなか動画に出来ずにいました。そういった方の疑問にも、もっとダイレクトにお役に立てるようにしたいと思い「いつでも見に来れる、気軽に教わる洋裁教室」をコンセプトにYouTube有料会員”ただ服の家”作りました。詳しくは、それぞれブログでも説明していますのでぜひご覧ください。
【新感覚】自由で気軽なオンライン個別洋裁教室
”ただ服の家”に登録してくださっている方限定で、好きな時に教われるオンライン個別洋裁教室として”いーちゃんの部屋”を作りました。実際に作っていて、分からない時、困った時に10分から質問できる場です。もっと上達したい方に寄り添える場になっています。気軽に使ってくださいね。詳細はブログで紹介していますので、興味のある方はぜひご覧ください。
誰にでも服作りはできる
意欲と知識、つまり正しい知識を得る手段があれば不器用でも未経験でも誰にでも服作りはできます。そのための一つの手段として”ただ服をつくる”があります。私が出来たのだから、みんなも出来る。本当にそう思っています。そのお手伝いを”ただ服をつくる”を通して実現していきますので、今後も宜しくお願いいたします。
最後に、、、
最後までブログを読んでくださりありがとうございます。少しでも、”ただ服をつくる”という服作りを楽しむ場に興味を持っていただけたら、ぜひこちらの記事もご覧ください。”ただ服をつくる”って何をするところなのかをまとめています。これからも皆さんと一緒に服作りを楽しめることを楽しみにしています。
”ただ服をつくる”って何!?
また、私のYouTubeチャンネルとインスタグラムは下記からご覧いただけます。
■YouTube:ただ服をつくる
■Instagram:@tada_fuku